ひょっとしたら、ひょっとする

にわかおたくの戯言です

原点の話

新年明けていました。おめでとうございます。

いよいよ映画「峠」の具体的な公開日を教えてもらえないまま、2022年がスタートした。
一週間に一度は映画「峠」の公式サイトにアクセスしては、その度に公開日が更新されていないことに落胆しページを閉じるという流れにもすっかり慣れた。
あと何回か見返したら、60秒予告のセリフ全部覚えることが出来そうです。

悲しいかな、家族からは「「峠」、このままお蔵入りするんとちゃう?」と、つっこまれても否定できないことが辛い。
本当にお蔵入りになったらどうしようという不安な気持ちと、ソ〇ー損保のCMに出ている役所広司を見るたびに「峠は!?」という憤る気持ちとの狭間で生きています。

愚痴を言いたいのではない。

年始に大河ドラマ篤姫」総集編を見たので、その話がしたいのです。
年始にj:comテレビで放送されていたものを録画していたのだ。ありがとう、j:com

大河ドラマ篤姫」は私にとって幕末史への入口となった大切な作品だ。
原作は宮尾登美子さんの「天璋院篤姫」(文春文庫)。
ドラマ自体は2008年に主演・宮崎あおいで一年を通して放送された。
薩摩藩・島津家の分家に生まれた主人公・篤姫が、藩主・島津斉彬の目に留まり、島津宗家の養女、そして徳川将軍家に御台所として嫁ぐ。嫁いだことがゴールではなく、幕末の動乱期に、大奥から徳川を守ろうとした女性の生涯は、ただのシンデレラストーリーではないのだ。
大奥にいる女性たちの目線で描かれる、対外国問題、将軍跡継ぎ問題、桜田門外の変公武合体運動、大政奉還戊辰戦争…。一つ一つ丁寧に描かれている(と感じている)。

当時小学生だった私は、母に「面白いらしいよ」と言われて、物語の途中から「篤姫」を見るようになった。
見始めた頃には既に篤姫は大奥へ入り、家定公(徳川十三代将軍・徳川家定)に嫁いだ後だったけれど、歴史を知らない私でも、なんなら途中からでもとても楽しめて、幕末という時代にのめり込んだ記憶がある。

篤姫」は登場人物一人一人が魅力的で、堺雅人演じる家定公はもちろん、中村梅雀演じる井伊直弼や、山口祐一郎演じる島津久光が特にお気に入りのおぢさんだった。昔からおぢさんが好きだったけれど、私のおぢさん好きの原点もここといっても過言ではない。
原田泰造(ネプチューン)演じる大久保利通も良かった。お笑いをしている泰造さんしか知らなかったから、ギャップに驚いた記憶がある。
男性陣ばかりじゃなくて、女性陣も素晴らしい。特に私は松坂慶子演じる幾島(篤姫付の老女)や、稲森いずみ演じる瀧山(大奥御年寄)といった大奥の女性陣、市川実日子演じるおりょうさん(坂本龍馬の奥さん)が大好きで大好きで…。

幕末ものは「篤姫」以降も映像化されているけれど、最初に見た印象が強すぎて、「〇〇といえば〇〇さん」という固定概念と化している。

新選組倒幕派、そして河井継之助へと私の日本史の中での興味は移り変わるのだが、原点は間違いなく「篤姫」だ。

当時から十年以上経って見た「篤姫」はやっぱり面白かった。2008年放送ってだいぶ前だけど、古臭いとかまったく全然意識しなかったもの。
何より宮崎あおいの演技が圧巻だった。活発な十代の少女から大人の女性になっていく姿、晩年の老齢の女性、話し方や所作、雰囲気さえも年齢を重ねる毎に変えていく彼女の演技に圧倒される。
宮崎あおい、当時まだ二十代前半ですって…。ただ可愛いだけじゃないの…。恐ろしい子…!

総集編には個人的に名シーンだと思っている「家定公によるバックハグ」も収められていた。
だよねだよね、ここは外したら駄目だよね!!と鼻息を荒くしながら画面を食い入るように見ていた。


ここからネタバレ入ります。


作中、篤姫が嫁いだ徳川十三代将軍・徳川家定は周囲からの重圧、人間不信から、普段は「うつけ」のフリをしている。
篤姫はその「うつけ」の姿が仮のものだと見抜き、次第に家定公の心を溶かしていく。スタートは周囲が進めた政略結婚だった二人が、次第に通じ合う過程は涙せずには見れない。
「バックハグ」シーンは、自らの死期を悟った家定公が二人きりのタイミングで篤姫を後ろから抱きしめるシーンなのだが、ほんっっっっと泣けるから!!
実際に小学生の頃の私は泣いたし、二十代半ばとなった今でもずびずびティッシュ片手に泣いた。
堺雅人のやわらかな口調が、眼差しがまたいいんだぁ…泣かせにくるんだぁ…。
「リーガルハイ」や「半沢直樹」のといったクセの強い役の印象が強いが、家定公もいいよ!優しい眼差しを向けながら、優しい声で「御台」って篤姫のこと呼ぶんだよ!?無理じゃん!!(とっくに語彙力なんて死んでいる)
録画リストにはまだ残しているから、また見返して涙活します。


ネタバレといっていいのか分からなかったけど、一旦ネタバレ終わり。


幕末史を少しかじった状態で見ると、なかなか突拍子もない設定や脚本に気づいたが、それもまた脚本。
物語としてはとても楽しめるのでオススメです。
あと、オープニングもすごく良くて泣ける。本当に泣ける。総集編一話、初っ端のオープニングから懐かしさに泣いていた私が証人です。なんなら歌えます。

映画「峠」が未だ公開されない中(この人そればっかりを言い続ける)、「篤姫」を見てやっぱり歴史が好きだ!と感じた。
思い返せば「篤姫」を見た直後の校外学習で訪れた二条城、多分学年で一番楽しんだ自信があるもの。「ここで大政奉還が!」と目を輝かせていた純粋な歴史が好きな少女の気持ちを、今回総集編を見返すことによって取り戻せた気がする。

溢れる本棚、父への信仰心

 本棚の整理をした。

 前々から、買ったはいいが「後で読もう」という気持ちが勝って、読まずに積読化された本たちによって圧迫されつつあった本棚は、いよいよ新しく買った本を入れるスペースがなくなった。買った当初は「たくさん本や漫画を入れることができる!」と思っていたのにどうして…。
 以下はその中で「今後もきっと読まないだろうに、何故本棚にあるのか」とか「そういや買ったわ」と本人ですら存在を忘れていた本たちのリストである。
 本棚の持ち主である私はドがつくファザコンである。ファザコンと言っても、「お父さんのお嫁さんになる♡」ではなく、「父の言うことに間違いはない!Yes父!」と信仰心が強いものだ。そんな父は無類の読書好きである。そのため本棚には父から借りっぱなしのものや、学生時代から今にかけて私がいかに父に近づきたかったのかが手にとってわかるものが多かった。
 
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
 「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」(岸見一郎 古賀史健/ダイヤモンド社)
 一発目から父から借りパ…借りた本だ。借りっぱなしのまま読んでいない。
 「アドラー心理学」がメンタルにいいと知り、父に「なんかいい本ないっすかね」と聞いたところ、渡されたのがこの二冊だ。重要だと感じたところにマーカーで線が引かれているのがいかにも父らしい。
 
「本は読んだらすぐアウトプットする!」(齋藤孝/興陽館)
 これは父の本棚から長弟が取り出し、それをさらに「なんか面白い本ない?」と遊びに来ていた私に渡してくれたものだ。借りてから一ページも読んでいない。
 
「めちゃくちゃ売れてる株の雑誌ZAIが作った株入門」(ダイヤモンド・ザイ編集部)
 続・父の本棚から長弟を経由して貸してもらったものである。長弟からは「これからは株だ!」と渡してもらったけど、円高・円安の違いもいまひとつ理解していない私が読めると思ったんだろうか。
 
「自分を変える習慣力」(三浦将/クロスメディア・パブリッシング)
 さらに続・父の本棚から長弟経由で以下略。これを読めば何事にも三日坊主で終わらずに取り組むことができるかしら(読んでいないの意)
 
「城を攻める 城を守る」(伊藤潤/講談社現代新書)
 「面白かったから八木ちゃんもぜひ」と父から直接貸してもらったものだ。私も歴史好きだからと好意で貸してくれたのに間違いはないが、悲しいかな、未だに読めていない。観光でお城を訪れることはあるけれど、石垣すご〜い!程度で終わる自称歴史好きですこんにちは。
 
「物語 ドイツの歴史 ドイツ的とは何か」(阿部謹也/中公新書)
 中二病を拗らせたままなので(継続中?)WW2前後のドイツ国内や、スツーカに乗って敵艦隊を倒しに倒しまくった某将校に興味があるのだが、過激派と見られたくなくて「ドイツに興味があります」と伝えたところ、父が送ってくれたものだ。古代からのドイツを知ることができる、らしい。読もう読もうと思いつつ、文中のカタカナの多さが大きな壁となっている。(5文字以上のカタカナ固有名詞を覚えるのが大の苦手なのだ)
 
山県有朋と明治国家」(井上寿一/NHKブックス)
 「山県有朋に興味があります」という娘の言葉を、こちらもそのまま受け取った父が以下略。明治・大正と政界の頂点に君臨し続けた山県はかなり長生きをしたが、栞が挟まっていたページを見ると作中の山県くんはまだ40代も半ばだった。先は長いなぁ。
 
「教育として学んでおきたい5大宗教」(中村圭志/マイナビ新書)
 「とある魔術の禁書目録」で中学時代を過ごしたので(ので?)宗教の世界に興味がある。本屋で表紙買いをしたが買って満足したままだ。中学生の頃、魔術はあるもんだと思っていた。純粋だね、可愛いね(棒)
 
「実行力 結果を出す「仕組み」の作りかた」(橋下徹/PHP新書)
 「異端のすすめ 強みを武器にする生き方」(橋下徹/SB新書)
 賛否両論あるだろうが、橋下さんのズバズバ言い切る姿勢が私は好きだ。こちらも買って満足してしまった本たちである。父には「こんな本を買いました!」と伝えたところ「のめり込み過ぎないように」と言われた。
 
「京都ぎらい」(井上章一/朝日新書)
 完全にパケ買いだ。今も昔も京都が好きで、京都に住みたいと思い続けて10年弱。外から見た時と中から見た時とのギャップに苦労しないように早く読め(自戒)
 
「忍びの滋賀 いつも京都の日陰で」(姫野カオルコ/小学館新書)
 こちらもパケ買い。母方の実家が滋賀県にあるので、滋賀にも愛着がある。琵琶湖には数回しか行ったことないけど…、未だにひこにゃんに会ったことはないけど…。私はゲジゲジナンバー可愛くて好きです。
 
「鳥居民評論集 昭和史を読み解く」(鳥居民/草思社文庫)
 父のライフワークの一つに「昭和史」があるらしい。昭和史がライフワーク…?
 こちらも完全にパケというか、タイトルだけ見て購入した。これを読んだら父に近づけるかも!という、なんと純粋で無垢な可愛らしい娘心なんだろう!(読めていません)
 
蜘蛛の糸地獄変」(芥川龍之介/角川文庫)
 突然の芥川龍之介
 Q.なんで買ったの? A.角川文庫版のカバーが可愛いからです。
 唐突に芥川はじめ文豪と呼ばれる人たちの作品が読みたい時期がくる。高校の現代文の授業で「蜘蛛の糸」を読んだ時は「えっここで終わり!?」と結末に対してモヤっとしたが今読んだらどうなるんだろう。多分深く読み込むことができないので同じ感想を抱くことでしょう。
 
「日本の軍閥」(倉山満×杉田水脈/青林堂)
 軍閥!戦前から戦中にかけての日本国軍の軍閥って仄暗い印象があって惹かれる。(過激派ではないです)「軍閥」というワードに惹かれて購入したけれど、対談者の名前を見て後悔した。買ってから気づくってある?S田さんのパフォーマンスはあまり好きではないけれど、軍閥…揺れ動くまま依然として読めていない。
 
「古都再見」(葉室麟/新潮文庫)
 父に小説を勧められた(まだ読んでいません)ことで葉室麟さんの存在を知った。葉室さんが晩年を過ごした京都で綴ったエッセイ集だ。
 父が勧めてくれた作家さん × 舞台が京都 = きっと好き! と購入した。好きなのにどうして読めていないんだろう。不思議ですね。
 
「最後の秘境 東京藝大 ー天才たちのカオスな日常ー」(二宮敦人/新潮文庫)
 こちらも完全にパケ&あらすじ買い。父は(ここにも登場する?!)様々なジャンルの本を読む。私も知らない世界を知りたいなと思っていた矢先出会ったので購入した。絶対面白いんだよ、読めよ…。
 
「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上下」(塩野七生/新潮文庫)
 まだ私が純粋で無垢で愛らしかった時代(幼稚園から小学校低学年と想定してください)、塩野七生さんの「ローマ人の物語」シリーズ。は父の本棚にきれいに整頓されていたのを覚えている。何度も勧めてもらったにも関わらず、難しいと壁を感じて手を伸ばせずじまいだ。
 「フリードリッヒ2世」は国擬人化コメディ漫画に登場して以来興味があるので、これなら読めるかしらと購入した。どうして読んでいないの。
 
 以上が本棚から続々と出てきた積読本たちだ。どうも家族には父のストーカーと言われています成人女性です。
 父は人やものを紹介するのがとてもうまいのだ。だからついつい本屋さんで見つけると「あらお父さんが」と手を取ってしまう。で、買って満足して終わってしまう。今は半藤一利さんの「幕末史」「昭和史」がとても読みたいんだけれど、その前に同氏の「日本のいちばん長い日」(未読)を読むべきじゃなかろうか。
 
 追記.先週父に会った時には「重力の本」を読んでいると言われた。…重力…?父に追いつくには相当な時間がかかりそうだ。

継サの話②


前回までのお話!
死にたい願望MAXだった私は推し・河井継之助を主人公に描いたバイブル「峠」の映画公開が再再延期されたことで、逆に生きねばならぬと並々ならぬ決意を新たにしたのであった。

 時系列としては「峠」再再延期事件(と呼んでいる)よりも少し前の話である。
 「ちるらん 新撰組鎮魂歌(レクイエム)」(ゼノンコミックス 漫画:橋本エイジ 原作:梅村真也)との再会は偶然だった。
 仕事帰りにふらりと寄った本屋の漫画コーナーに発売直後の29巻が平積みされていたのだ。
 「懐かしい!」と思わず手に取った。表紙の斎藤一が着物ではなく洋装になっていたことや帯に「最新鋭の武器を調え迫る新政府軍。」と書かれていることから、物語は戊辰戦争に入ったんだなとぼんやり眺める。当時読んでいた頃はまだ芹沢鴨が生きていたのにこんなに遠いところまで……。
 軽い気持ちで裏面を見た時、衝撃が走った。
 帯に書かれた『戦争の天才 河井継之助、起つ』という文字、そして裏表紙と帯に描かれる煙草を吸う中年男性。
 ーーー継サ!?…継サぁ!?
 マスクをつけていてよかった。多分とんでもない顔をしていたから。毎度の如く、細い両目は大きく見開かれた。
 「ちるらん」は新選組を描いた作品だ。鳥羽伏見の戦いから敗走を続ける新選組は散り散りになり、近藤勇は処刑、沖田総司は病死と結成当時の面々が亡くなる中、残された土方歳三たちは会津勢に加わり新政府軍に抗戦する。彼らが共に戦った会津藩は同じく新政府軍に抗う東北諸藩と「奥羽越列藩同盟」を同盟を組むのだが、その同盟の中には河井継之助率いる長岡藩も含まれている。
 だが、新選組を描く作品で長岡藩が描かれることはないと思っていた。あってもチラッと名前が出されるくらいじゃないだろうか。新選組ってやっぱり池田屋事件が一番メインで描かれている印象がある。歴史の渦に巻き込まれて悲しい最期を迎える人が多すぎるのもあるんじゃないかなとこれは個人の勝手な想像だ。
 それが今私が手に取っている「ちるらん」29巻にはどうやら河井継之助が登場するらしい。加えてだいぶ私好みのイケおじ具合だ。
 買うか悩んで、結局その場では買わなかった。帰りの電車で悩みに悩む。
 そもそも私は一度「ちるらん」を読むのをやめた身である。理由は覚えていないけれど、いつの間にか読まなくなっていた。もちろん上記の近藤・沖田が「ちるらん」の世界でどのようにこの世から去っていったのかも知らない。そんな中、推しが出てきているから買う…?そんなことが許されるというの…?
 帰ってからも延々と悩んだ。その日受けたクレームも忘れるぐらいの勢いで悩む。

 結果として、翌日には手に入れていた。だって心の中のプロシュート兄貴が「心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!」って言うんだもの(幻覚・幻聴)

 どきどきしながらページを捲る。以下29巻主観しか入っていないネタバレ感想のはじまりはじまり。(「ちるらん」河井継之助を河井呼びなのは、別作品での呼び方で呼んでいいのか迷ったからである)
 伊地知正治率いる新政府軍を撤退させた会津軍と斎藤一率いる新選組一行。戦いを終えた後「この戦力じゃいつまで持つか分からない」と話すはじめちゃん(斉藤)に対して、会津藩士・佐川官兵衛は不敵に笑う。「私があの漢(おとこ)を動かしに行こうと思う」。その漢こそ「長岡藩軍事総督 河井継之助」である。「長岡藩軍事総督 河井継之助」…この文字の並びだけでもう白飯三杯は食べれるね私は。
 白髪をツーブロックにし、大きめの羽織の下には胸元の開いたシャツ、足元は草履と藩のトップである家老らしからぬ格好で登場する河井。垂れ目具合や無精髭も色っぽい。喫煙しているシーンが多いのだが、右手中指と薬指で煙草を挟むその姿も既にかっこいい。終始飄々としていて、語尾には「〜」がつくのもいい!外見や話し方から既にノックアウトされていた。
 作中子供たちが、河井に絡むシーンがある。「河井のおっちゃん遊ぼう!」とわらわら寄ってくるのだが、なんと河井に抱きつく少年の姿が!羨ましくて思わずフリーズする。あと団子を河井に「あーん」ってしてもらった少年にも羨ましさで血の涙を流す。
 これは「峠」(司馬遼太郎新潮文庫)の話だが、継サが顔見知りの町人の娘を「嬢や」と呼ぶ場面が何度か出てくる。初めて「峠」を読んで以来羨ましくて仕方ない。

 そんな「嬢や」と呼ばれたい身としては「ちるらん」の長岡キッズたちには嫉妬せざるを得ない。昔は「○○(当時の推し)は嫁!」とか言ってたけど、二十代も半ばに差し掛かろうとして、推しに絡める子どもになりたいとは思わなかった。なれるもんならなりたい。
 土方や佐川が長岡藩に協力を求めにくる場面も河井は河井である(意訳:かっこいい)。一度は断るのだが断り方が「イヤなこった〜」…好きィ〜…(重症)
 あとね!長岡藩を全国有数の強藩にした理由として「この混沌の時代に長岡(オレら)が長岡(オレら)でいるためだろうが?」と言う台詞には、既にお分かりだろうけれど泣いた。私も長岡(オレら)に混ざりたい。
 この時代の人たちって、自分たちの藩をすごく大切にしている。時代背景や考え方もあるが、地元に対してそこまでの考えや思いを抱いたことがないため、藩のために命を賭けようとする彼らの決意は身近な考えではない。

 江戸幕府を倒した勢いそのままにやって来る新政府軍。多くの藩が新政府軍に従う中で、河井が下した「抗戦する」という決断に賛同する長岡藩士たち。時の長岡藩主牧野忠訓は当時の年齢が今の私と近いから余計に感情移入してしまう。この後彼らに襲いかかる過酷な運命が「ちるらん」ではどう描かれるのか、何度も読み返しながら考えた。
 ところで作中で佐川官兵衛が「さすが私の見込んだ漢だぁぁッ!だい好きだーっ」と感情大爆発する場面には「私も大好き!」と佐川に全同意である。私たち、同担だね。

 29巻に関しては、もちろん河井以外にも土方の代わりに新選組を率いることとなった斎藤一や、万全ではない状態で河井の説得に向かった土方など新選組隊士たちも見所はたくさん描かれている。土方の小姓である市村鉄之助に出会えたのもよかった。「ちるらん」鉄くん、可愛い!可愛い!!と鼻息荒くして読んだ。いけない。私の中の元気な男の子好きの血が騒ぐ。

感想というか、ただ推しはどの作品でもかっこいい!っていう文章になってしまった。関係者各位に失礼にならないかビクビクしている。愛はあることは理解してもらえたら嬉しい。

 次回「生まれは兵庫、育ちも兵庫、それでも心は長岡と共に」

継サの話①

 映画「峠」が2022年公開と延期が決まった。
 本来であれば2020年9月公開だったものが今年の6月18日、7月1日と公開が延ばされていたので、正しくは延期ではなく再再延期だ。
 
 「峠」は司馬遼太郎の長編小説の一つを映像化した作品だ。長岡藩家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)の人生を描く。
 以下簡単な原作「峠」あらすじ。
 幕末、江戸幕府が瓦解した後に新しい国家を作り目指す新政府軍と、それに対抗する会津をはじめとする旧幕府軍の戦い、戊辰戦争
 小藩である長岡藩に生まれた河井継之助は赤字財政だった藩を立て直したこともあり、出自にも関わらず家老となる。新政府軍と旧幕府軍に挟まれた藩の中で、当時誰も考えなかった(であろう)中立の立場を唱えるも、希望は聞き入れられず、結果として戊辰戦争の中でも最も苛烈と言われた北越戦争へと河井、そして長岡藩は突入してゆく。以上あらすじ終わり。
 原作小説は高校生の頃に父に勧められて以来、大好きな作品の一つだ。ともかく河井継之助(以下継サ)がかっこいいのだ。(かっこいいという一言では継サの魅力を収めることはできないが今回は主題ではないので割愛)
 
 幕末を舞台にした作品は数多くあれど、北越戦争をメインにした作品は多くないと感じている。探せばあるんだろうけれどリサーチ力が低くて把握しきれていない。ちなみに近年放送された維新の三傑の一人を主人公に描いた某大河ドラマ内では「長岡の河井継之助が〜」と一言名前が出て終わった。それでも嬉しくて何度も繰り返し見た。(ところで今になって名前すら出ていたかと記憶があやふやになっている)
 だからこそ2018年に「峠」の公開が決まってから、ずっとずっと楽しみにしていた。
 
 話が逸れた。公式がホームページで再再延期を公開したのが5月24日、対して私がその事実を把握したのは6月も中旬に入ってからだった。
 寝る前にふと「そろそろ前売り券でも買おうかね」と軽い気持ちで検索をかけた結果、いつの間にか2022年に延期が決まったことを知ったのだ。
 
 なんでだ!!2022年っていつだよ!!深夜にも関わらず暴れ倒した。具体的にはスマホを握り締めつつ大きめのビーズクッションに当たりまくった。(集合住宅なので声は出さなかった。えらいさんだね!)
 なんで、どうして、悲しくてやるせなかった。
 ところで去年世間を一世風靡したアニメ映画は全国の映画館で朝から晩まで公開し続け、大ヒットを記録した。メインのキャラクターは「何百億の男」と呼ばれた。連日テレビでは主題歌が流れ、出演声優は地上波バラエティー番組に出ずっぱりだ。
 嫌味に聞こえるかもしれないけれど、別にそれに対して批判はしたくない。批判はしたくないけれど、それでもコロナ禍と言われる今の世の中、片や日本映画史に残る大ヒットとなり、片や延期に延期を重ねている。どうして「峠」は公開が延ばされ続けなければならないんだろうと一通り暴れ倒した後に涙が出た。
 
 こんなにも楽しみにしているのに、と考え出したら止まらなかった。2021年のスケジュール帳は購入してから真っ先に公開日である6月18日に「峠公開♡」と印をつけて、可愛らしいシールで囲っていた。仕事はシフト制だから公開日は予め休みを取って、初日の一発目から見に行こうとわくわくしていた。「峠」を勧めてくれた父にも自分から「映画行きませんか?」と誘いをかけていた。(出来の悪い娘なので、父に対しての劣等感からか大体敬語でメールを送るのが精一杯な私がである)
 
 一昨年になるが初めて新潟にも行き、「峠」や継サへの愛を高めていた。
 信濃川を見てはその壮大さに興奮し、小千谷市にある慈眼寺では感極まり涙し、同行してくれた彼氏をドン引きさせたり(挙句泣き疲れて移動中の車内で爆睡をかます)、長岡市河井継之助記念館ではガトリング砲を嬉々として回し、制作現場の写真を見ては「私もエキストラで参加したかった、何故私は長岡市民ではないのか」と嫉妬したものだ。彼氏の行動力のおかげだが、福島は只見にも連れて行ってもらった。継サ終焉の地である只見にも河井継之助記念館と、継サのお墓がある。ここでも感極まり泣きそうになりながら手を合わせてなむなむした。スマホの画像フォルダ内には満面の笑みで河井の銅像と撮ってもらった写真が保存されているが、本当に泣くか笑うかの幸せな旅行だった。
 
 今回の映画化に関しても、「継サを演じるには役○広司はおじいちゃんだよね」(北越戦争時の継サはアラフォー)とか「岩村役に吉○秀隆はダンディーすぎる」(登場人物の一人である岩村精一郎は当時24歳)とか、「なんで登場人物一覧に山県くん(※1)がおらんねん!老人(※2)って誰や!!」とか、不倫騒動で世間を騒がせた俳優が出演していることとか、キャスティングは思うところがあったがそれでも、それでも!私は映画「峠」を楽しみにしていたの!!いや、今も超楽しみにしている!
(※1山県くん:山県有朋北越戦争では新政府軍として継サ率いる長岡藩と戦った。原作では継サと山県の「相手はどう出るか」という心理戦が熱い!と個人的に思っているので、一覧に名前が無いことが解せない)
(※2老人:登場人物一覧に「老人」として名を連ねている。長岡市民の一人なのか、どういうポジションで出てくるのか未だに分からない)
 
 一通り悲しみをTwitterに吐き出した後には自分への怒りが止まらなかった。
 継サを好きだというなら、ちゃんと毎日公式サイトを見て、いち早く情報を確認すべきだったのではないか。何故延期が決まってから半月も過ぎて把握しているのか、同じショックでも度合いが違いすぎる。そもそも継サに対してのアンテナが立ってなさすぎる。
 政府も政府だ。オリンピックは反対意見を押し切って開催するんだったら「峠」も公開してくれよと自分本位の怒りは政府にも向く。(もちろんオリンピックのために人生を捧げている選手や関係者の方々を批判する気はサラサラない)
 深夜に台所の換気扇の下で延々と怒りと悲しみを吐き出すように煙草を吸い続ける2X歳、女性。歯磨きをしたにも関わらず翌日は一日中口内が気持ち悪かった。
 
 だが、怒りは時にいい方向に向く。
 生きようと思ったのだ。正確には「生きねばならぬ」だ。
 今は落ち着いたが、春先にかけて割と本気で「死にたい」と思っていた。仕事も辞めて、毎日自堕落な生活を送って、何もしていないからこそ自己嫌悪が進む。実家の家族や彼氏にもたくさん迷惑をかけた期間だった。そんなボロボロ私のメンタルは「何がなんでも「峠」を見るまでは死ねない」に切り替えられた。もちろん、もう一度新潟にも行きたい。信濃川に向かって愛を叫びたい。「継サに会いたい」がいよいよ生きる活力として私の中で大きな比率を占めている。
 
 そうだ、自堕落な生活を続けた結果のだらしない体も引き締めなければならない。だって、推しを見に行くのにボロボロの状態でいけない。あと、継サってほっそりした女性が好きだと思うんですよ。燃やせ、脂肪!引き締めろ、肉体!
 彼氏に「君はコレと決めたらそれだけに一直線だよね」と呆れられる性格は、継サに出会ってからの年数の中で一二を争うくらいには継サへと一直線だ。「生まれも育ちも関西だけど、心は長岡藩士だよ」と偏愛っぷりや、継サの考え方に少しでも近づきたくて陽明学を学ぼうと考えていることは人に話すと「狂気」と言われるが、だって全ては映画を心から楽しむためなのだ。
 ちなみに継サ効果は早速出ている。継サは綺麗好きだろうからという理由で、休みの日は家の掃除に力を入れている。学生時代その汚部屋っぷりを母に怒られていた私が休日にせっせと部屋をきれいに保とうとしている…!
 
 待っててね、継サ。絶対絶対会いに行くから…!と毎日継サ(概念)に祈りを捧げながら、生かされている今日この頃だ。
 
次回「ちるらん河井に恋をする」

穏やかなお顔が好みです

幣原喜重郎の「外交五十年」(中公文庫)を借りることができた。ヤッターーー!!

戦前は外務大臣など要職に就き、戦後は総理大臣として活躍した幣原喜重郎による回顧録だ。
「男子の本懐」(城山三郎/新潮文庫)を読んで以来、浜口雄幸(と井上準之助)に落ちた身としては、浜口の学生時代からの友人であり、浜口が総理大臣になった時には外務大臣として入閣した幣原は、高校で習う日本史Bの教科書に記載されている以上に私にとって身近な存在だ。身近とかいうけれど、親類でもなんでもない。ただのファンです。
(今お手元に山川の日本史Bがある方はぜひ試していただきたいんですが、びっくりするくらい浜口・井上・幣原について触れられていないんですよ…解せないね)

五年前、おそらくTwitterだと思うが、「外交五十年」が装丁を新しく出版されることを知った。
夢見がちな少女はこれを「運命だ!」と思った。だって告知があったのが「男子の本懐」を読み終えて、自分の中でおさちブームが最高潮だったタイミングなのだ。
回顧録ってつまりは「幣原から見たおさちも見れるんじゃない?キャー!」と発売日を心待ちにしていた。
(※おさちとはもちろん浜口のことである。浜口と言うのに慣れていないため、以下おさち表記でいく)

初めて訪れた大型書店で迷いながらも本棚から見つけた時の嬉しさや、袋から取り出して帰りの電車の中でページをめくった時のドキドキは今でも覚えている。

ところで、本来であれば「外交五十年」は当事者から語られる軍縮会議や、当時の日本の対外政策などについて書かれている至極真面目なものである。
しかしながら私は当時のSNSに感想として以下を残していた。以下抜粋。

浜口雄幸との友情話にぐっときた。浜口が民政党の総裁になったのは幣原の働きがあったからとか、首相代理を渋っていた幣原に浜口が頼んだりだとかたまらない!
個人的には幣原から語られる浜口雄幸の話が嬉しい!

…邪推な目で見てるな〜〜〜。五年後の私もだけど、天国の幣原もきっとびっくりだよ。
そういえば「男子の本懐」も冒頭、おさちが井上に「大蔵大臣になってくれないか」と誘うシーンに鼻息を荒くしていたな。(新潮文庫から出ている文庫版をぜひ!わたしゃ21ページの二人のやり取りだけで白米三杯はいけるね)

話が逸れたが、山川の教科書にケチをつけるくせに、政治の話をちゃんと理解していない。あの時代ひっちゃかめっちゃかだし…。たくさん人出てくるし…。にも関わらず、複数回読み返して楽しめたのはきっと彼自身についても書かれているからだ。

ところが、だ。
「運命だ!」とまで声高らかに叫んでいたくせして、私は「外交五十年」を実家の自室で紛失したらしい。らしい、というのは、確か本棚に入れたはずなのに見当たらない、引越し先に持ってきた覚えはない=なくしてしまったんだなという結論である。
いや、多分しっかりと探していないだけで汚部屋(自室)に埋もれているはずだ。探せばきっと見つかると思いながら、私は実家に帰っても一向に掃除をしないのであった。

久々に訪れた図書館は平日の夕方ということもあったが、人はまばらだった。読みたかった本をいくつか手に取ってた時にふと「幣原本(と呼んでいる)もあるんじゃない?」と思った。
急いで貸し出されていないかを蔵書の検索をかける。…ある!背表紙B319-1!
現代小説の欄にはなかった。Bは文庫本のBというのは理解しているが、一応新書やハードカバーが陳列している棚も見てみた。ない。歴史関係が並ぶコーナーにもない。ぐるぐると周り、もう一度検索をかけてみる。
幣原本はあった。なぜか自然科学の欄に。嬉しくてほくほくした気持ちで取り出す。
実に五年ぶりに読むが今からとても楽しみだ。

高校野球と私、そして憧れの君

夏の全国高校野球選手権大会がはじまり、いよいよ明日には決勝戦が控えている。
優勝候補筆頭の強豪校に、秋田の公立校が挑む。 この構図だけでもワクワクが止まらない。
仕事もあり、毎試合すべてを見ることは出来ないが、速報やTwitterを通してほぼほぼ網羅し、一日の最後には熱闘甲子園を見て涙する。そんな夏を過ごしている。
二次元や歴史上の人物にキャーキャーするオタクが、一年の中でほぼほぼ唯一三次元にどっぷりする季節だ。

以前はここまでハマるとは思わなかった。 プロ野球は父や長弟が好きということもあり、阪神タイガースをテレビ中継で応援するほど。 鳥谷敬選手の端正なお顔が好き♡くらいのレベルである。

加えて、高校野球がテレビで放送される時間がよろしくなかった。
土曜日は夕方六時の「メジャー」、日曜日は毎朝八時半の「おジャ魔女どれみ」が高校野球の関係で放送されない。
解せぬ! 当時幼稚園児、小学生であった私は新聞の番組表を見るたびに憤慨していた。
これ今の子も同じように思ってくれるのではないかと思う。 大好きなプリキュアが放送されない、とても辛いと思う。

そんな私が高校野球にハマったのは、中学三年生の夏、大阪桐蔭が優勝した年だ。
阪神に在籍する藤浪投手と、西武に在籍する森捕手がバッテリーとして活躍する姿にテレビの前でワクワクしながら見ていた。
(ちなみに今年、たまたま森選手の出る試合を観戦した。小柄ながら力強くスイングする姿は敵チームながら惚れ惚れした)

当時、私は「おおきく振りかぶって」(ひぐちアサ/講談社)にハマっていた。
受験生の夏休み、勉強しろよという話だがハマっていた。
公立校に新たに出来た野球部。そこに集まった、全員一年生の球児たちが甲子園を目指すという話だ。
試合内容ももちろんだが、心理描写が丁寧に描かれていて、野球のルールがしっかり分かっていなくても楽しめる。

主人公たち、西浦高校の面々も心優しくて素敵な子たちばかりだが、それ以上に私が大好きなのが、強豪校、桐青高校野球部だ。
主人公たちは県予選一試合目、いきなりこの甲子園出場経験もある桐青と試合をすることになる。
コミックス五巻から八巻まで描かれた桐青編は涙無しには読めないのでぜひ読んでいただきたい。

おお振りにここまでハマったのには桐青高校の島崎慎吾の存在がある。
三年生、背番号4番、セカンド、打順は3番。
金髪に近い茶髪で、タレ目が特徴的だ。
きっとイケメンキャラ枠だ。勝手ながら、おお振り内に出てくるイケメンキャラはタレ目率が高い…。そういえばとふと思い返した。

島崎慎吾は少し斜に構えていて飄々としている風だ。なんでもそつなくこなしそうで、きっと勉強や女性に対する姿勢もスマートなのであろう。
(ここまで来ると妄想も甚だしいが)
でも内心はやはり熱い思いを秘めていると思うのだ。強豪校のクリーンナップを打つということはプレッシャーもすごいであろう。
当時中学生で多感だった私はこの島崎慎吾に夢を抱き続けた。ぶっちゃけふとした時におお振りを手に取るとやっぱり惚れ惚れする。
アニメも後から追い掛ける形となったが、日野聡さんのお声がまたいい。 こちらもよろしければ見ていただきたい。

憧れだった年上の先輩キャラクターが今では年下。現実の高校野球も現役の子たちは私よりも年下の子たちが活躍している。
キラキラ輝いて、笑顔で甲子園の芝生を駆け巡る姿に憧れを抱く。

徒然なるままに

W杯ロシア大会の決勝リーグが幕を開けた。

サッカーのルールなど、何ひとつ、それこそ「オフサイドとはなんぞや」というレベルで分かっていないが、年を重ねるごとにスポーツを観戦することに楽しみを覚えつつあること、そして各国のイケメン選手を見たいがために眠気に負けそうになりながら見ている。(一文が長い!)

第一試合(アルゼンチン🇦🇷VSフランス🇫🇷)も、第二試合(ポルトガル🇵🇹VSウルグアイ🇺🇾)も、どちらも熱い展開で、父のうんちくを聞きながら楽しませてもらった。
サッカー、面白い!! 全力で走る選手たちはキラキラしていて眩しい。


前置きが長くなったが、そもそもブログを始めたきっかけは父である。
アナログ人間である父が、ブログをしていたのだ…!
といっても投稿しているのは読んだ本の感想を投稿できるサイトのようで、少し意味合いは違うのかもしれないが、あの父が…!! 私ももちろん下二人の弟たちもかなりの衝撃を受けた。(父についてはおいおい)(最近変人度が増している気がする)

と、同時に私も日々起こったことや感じたことを書き留めておきたいなと思った。 ちょうど三浦しをんさんのエッセイを読んでいたことも起因している。

豊富な語彙力などないが(それは紐付けしているTwitterを見てもらえれば分かる)、ただ頭の中で留めておくだけでなく、後で「そういえばこんなこともあったな」「この時の私阿呆だな」と思い返せるような、日記感覚で始めてみようと思う。

ちなみに、当ブログのタイトル『ひょっとしたら、ひょっとする』は父の投稿したある記事の中の一文だ。 じわじわきたから拝借した。 深い意味は無い。

そんなこんなでまずは三日坊主にならないことを祈りつつ…始めたいと思う。